距離感をさまざまな視点から考えてみる
人間関係は距離感とはよく言われることです。でもこれは人間でなく、すべての関係において言えることではないでしょうか。
私はいつも星や植物の話題を出してきましたが、彼らは人間とは違う存在形態をしているため、人間の私たちと距離があり、距離があることでお互いに響き合い、補い合う関係でいることができます。
もし夜空の星々が私たちの太陽よりも接近してきたら太陽系は大混乱になってしまいます。もし富士の樹海が東京まで広がってきたら私たちのインフラはめちゃめっちゃになってしまいます。
私たちは〈離れていること〉に心から安心感を感じているということでしょう。遠く遠くに見える星々、だからそれが素敵に感じられます。
こうやって自然との距離感を感じた後に、日常の人間同士の距離感に戻っていくと、近しい人ほど、反対に距離を取ることに注意深くある必要があることがわかってきます。
“距離感の選択肢”が増えた私たちの社会
家族や恋人、同僚との距離感はできるだけ適切に離しておくことが無難です。
以前チーム一丸となるための手法をお伝えしましたが、異なる人間同士が一丸となるためには隙間、スペースが必要になってきます。
時代はインターネットの発達によって人と人との距離が掴みづらくなったという人がいます。確かにそういった側面もあるでしょうが、一方で、知らない遠い人がつぶやいた一言で救われた例も実に多いものです。
“距離感の選択肢”が劇的に増えているという点でこれは素晴らしいことです。
距離を創造しませんか?自分自身との。
ただ誰しも人生や仕事、結婚といった本人なりの重要な岐路に差し掛かった時に問われるのは〈自分自身との距離感〉です。
こればっかりは流石のインターネットでもどうしようもありません。もちろん、検索することで何かしらの有益なヒントは見つかるでしょう。
しかし、実際に適切に自分自身と、自分の考えや欲求、ネガティブな思いなどを客観的に判断して選びきるという行為は、できるだけそれら内面的な物事と自分自身との間に適切な距離を出すことが真摯に求められます。
場合によっては時間を置いてみることも、自分に対して距離をとる、自分自身を待ってみるという意味で有効になることがあります。
ですがいずれにしても、誰しもが自分にとって重要な一歩を踏み出す直前には〈距離感の創造〉という力が必要になります。
一見、離れてしまうことで人間は力を失ってしまうように錯覚してしまうものですが、真実はその逆です。
私たちは遠く遠くに離れていくことで、あの星々の瞬きのように遠くから見つめることができるようになり、その距離感覚こそが美しい響き合いの関係性を見つけ出すことを可能とするのです。