実例コラム

〈コラム No.32〉麻痺化する社会において、あなたの意識構造は波打ち際でせめぎ合う

「こんなに腰がカチコチだったんですね…」

 

3月の初旬、その日のコンサルティングの終わりに、Fさんが漏らした一言です。

 

「自分の身体がここまで硬くなっていたなんて、まったく気がつきませんでしたよ」「まさか意識を整えるのに、改めて身体から取り組むということは目からウロコでした」

 

元々身体が頑丈だったFさん、これまでほとんど病気らしい病気をしたことがないそうです。しかし、診てみると身体はあちこちがガチガチに固まっていました。

 

ここで重要なのは、「意識化できているか?」ということです。身体が硬いことがよくないだとか、健康は大事だと言うことではありません。

 

「意識化する」というのは、本人がハッキリと認識することを言います。反対に、まだ認識に上がってきていない段階は「無意識」や「潜在意識」と呼ばれています。

 

「意識を明晰に保つ」ためには、身体・精神の両方を隅々まで「意識化」していくことが重要なのです。

 

意識化と一口にいっても・・・

スピリチュアリティを少しでも学んだことのある方、また心理学においても、顕在意識/潜在意識という分け方で「表面にある意識」と「奥にある意識」とそれぞれ分けて考えることは、だいぶ一般化されてきました。

 

潜在意識や無意識といった概念が注目されるようになってきている、ということ自体、これは人々がみずからの意識に対して注目してみようという社会的な流れがある証拠でしょう。

 

時流としても「意識」のことを考えるようになってきていることは、集団意識の規模においても、物事を意識化していこうとする方向性が活性化しているといっていいものです。

 

これ自体は非常に良い動きと言えるのですが、この意識化というものは一口には表現できるものではありません。非常に幅があるものなのです。

 

・固まった筋肉をほぐすことで動かしやすくなる
・呼吸を深くする
という段階もあれば、

・深層心理にあった重いトラウマを解放することで、人生全体が好転してしまうような意識化
もあります。

このような具合です。

 

ここで難しいことは、人は意識化していると思っていても、客観的に見れば、それは全く意識化されているわけではなく、「あいかわらず無意識的な力に翻弄されているだけ」という場合が多々あるということです。

 

例えば、人は寝ているときに「私は今ぐっすり眠っている」とは意識できません。

 

まれに明晰夢や、幽体離脱などをして肉体が眠っていることを客観視する体験をする方もいますが、基本的には、朝起きたときに「よく寝たな」と、そこではじめて意識化が起きています。

 

ですが、いくらベットから起き上がって目覚めのコーヒーを飲んだところで、「未だに眠っている」無意識の領域があることに、人はなかなか気がつくことはできないということなのです。

 

なぜこのようなことが起こるかというと、意識構造に「麻痺」という現象が絡んでいるからです。

 

社会経験を積むことは“成長”なのか?

人は一生の間に、様々な社会圧によって相当のストレスを受けています。これは肉体的、精神的に様々なレベルでやってくるものです。

 

ここに対して若い頃は一喜一憂し、酸いも甘いも敏感に感じとっています。ですが、歳をとり、自分ではそうと気が付かない間に、こうした感性を失っていくのです。

 

これは身体的には文字通り自律神経の麻痺であり、精神的には心理障壁が何重にも分厚く出来上がってしまっている状態です。

 

長年の社会生活の中、心身にかかるストレスに人は徐々に強くなり耐性がついてくる、そうして「社会人として成長していくのだ」という考えはあるかもしれません。

 

しかし、先ほど申し上げた通り「成長している」と思っていたのとは反対に、実は「麻痺」していっているだけだった…ということも起こっている可能性があります。

 

つまりは、どんどん無意識的な方向へ向かっており、コントロールする力を失っている、ということなのです。

 

その理由は簡単で、「麻痺」した方が、大人として社会の中で生きるには楽だからです。ある程度のニブさを持つことで、いろいろなことをスルーできるようになる。

 

これは5~10年といった単位で見れば都合がいいことは多いかもしれませんしかしそれ以上の期間をこうした状態で過ごし続ければどうなるでしょう。

 

「積年の恨み」という言葉がありますが、特に「恨み」に限定しなくとも、あなたの無意識の領域に溜まっていくストレスのレベルはそれと同じだけあなたを「麻痺化」させていっているのです。

 

「知らない間にほっとくと大変なことになるよ…」とは良く言いますが、実際それを言っておられる方は、その先にある未来を体験や理論に基づき認識しているからそう助言してくれるわけで、実に重みのある一言なはずです。

 

しかし、やはり麻痺していれば、そんな助言は「焼け石に水」となることがほとんどなのですが・・

 

あなたの意識構造は、波打ち際でせめぎ合う

この現象の背景には、社会構造や、日本の伝統などといった、そういったマクロ的な問題もあります。

 

しかし、個人の単位で言えば意識化に努めるのにはそういった外的な影響を「払いのける」だけのエネルギーやそれなりの対抗策が必要になる、という観点は外せません。

 

朝、元気にベットから起き上がるためには、エネルギーが必要というのと同様に、自分自身の麻痺している側面を目覚めさせていく(意識化していく)には、それ相応のエネルギーや目覚まし時計となるような仕掛けが必要になる、ということなのです。

 

エネルギーがないと、ついつい右へ倣えの習慣が働いてしまいます。自分が麻痺をしていっていることに気が付かないように気が付かないようにと、日常が「無意識的なルーティン」によって凝り固まっていってしまうのです。

 

だから朝起きられず、だらだらと1日を過ごしてしまっている・・ということになるのです。

 

つまりは、自分をより意識化していくためには「それなりのリソース」を「確保」することが必要になってくる、というワケです。

 

あなたは常に「波打ち際の浜辺」に立っているようなものです。無意識は「海」に例えられることがありますが、波が引いていくとき、あなたは自分の人生のより多くの部分をしっかり「陸」として確認することができます。

 

つまり、意識化しているのでその部分は「予測」や「コントロール」をすることが容易になります。自分にどのような影響があるのか?避けるべきものなのか?を判断することも可能です。

 

反対に、満潮の時間帯になれば、海の波に飲まれてしまいます。あなたは無意識の中にある様々な無秩序な影響に翻弄されることになります。

 

もちろんあなたにとって危険な物事を認識することはできません。方向性が見えず、千載一遇のチャンスも掴めず、すべてが後手に回るのです。

 

そして潮が引いたときには、もうまったく自分が知らない場所に連れて行かれている・・・そしてパニックに陥ったり「なんでこんなことが起こったんだ」と騒いだりしてしまうことになるのです。

 

社内で突然の想定外の「攻撃」にあったり、理不尽な左遷、突然の破局、そして健康で言えば、ガンや糖尿病などの生活習慣病、一般的には原因不明とされる不定愁訴なども挙げられます。

 

ご本人には一大事ですが、他者から見れば「初めからわかっていたことでしょう」「あなたいつもそうね」「いつかはそうなると思っていた」となるのは必然ということなのです。

 

こんなことがあなたの人生では度々起きているワケです。

 

100人中6人がうつ病であると厚生労働省は発表していますが、こうした事態は、諸々の健康管理が甘いという表面的な話ではなく、無意識的に生きているうちに、どんどん心身の麻痺が進行していった結果、つまり高齢化社会ではなく、「麻痺化社会」という側面なのです。

 

あなたは「知らない間に放っておいているもの」に薄々にでも心当たりがあるでしょうか?
それは今後ますます無意識の領域として広がり、あなたの大切な意識的領域を覆っていくのです。それが現実として見えてくる前に、意識的に習慣などを見直したいものです。

 

さもないと、ご当人がもっとも無意識に鈍化していた部分から予想外の衝撃がやってきます。

 

痛みや辛さを感じなくなったというのは、治ってるのでも、強くなっているのでもなく、麻痺がどんどん悪化していっていることに他ならない。その分、幸せも豊かさも、人生が充足しているという深い実感を得る機会も逃しているのです

 

意識と無意識の波打ち際は、今この瞬間も行ったり来たりしています。あなたはどこまで人生を意識化できているでしょうか?このことを、他人事にしてしまっていないでしょうか?

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