8月15日の現地だからこそ感じられるもの
炎天下、参道。
「帰れ!出ていけ!」怒声が、参拝者の行列の中から響き渡りました。
アジア系の外国人がスピーカーを手に、鳥居をくぐり拝殿を目前にした私たち参列者に向かって何かを訴えています。その訴えに反応した参列者たちの一部が、激しく応戦し始めたのです。
8月15日、この地でこのような対立が起こるのは、ある意味で「必然」なのかもしれない…と私は感じていました。
人類の歴史を振り返ると、なぜ戦争がこれほど繰り返されてきたのか、その問いは深く、複雑です。宗教的対立、経済的な利益を追求する戦争ビジネス、さらには同一民族間の争いなど、さまざまな要因が絡み合っています。
しかし、これらの要因を超えた、もっとマクロな視点から戦争を捉える考え方も存在します。
宇宙的規模からの戦争とは?
その一つが、地球という惑星が宇宙や太陽系の中で、人類に戦争を誘発させるようなエネルギーを持っているという仮説です。
つまり、人間が善悪に分かれ、加害者と多大な犠牲者を出し続ける戦争が、決して無くならない理由は、地球環境そのものが人類を戦争へと導いているからかもしれない、という発想です。
イメージとしては、お釈迦さまの手の上に全人類が乗っている、という感じでしょうか。
一見すると信じがたい奇妙な説ですが、人類史を振り返ると、戦争が繰り返し起こってきた背景には、このような「宇宙規模の力」が働いているのではないかと考えることも、また一つの視点として捉える価値があるでしょう。
殉義の覚悟を決めても拭えぬもの
さて、8月15日の靖国神社への参拝とは、日本人にとって終戦記念の特別な儀式であり、過去を忘れないための重要な行動と言えます。
戦没者、英霊に対する「崇敬の念」を喚起しようとする姿勢。日本の歴史観から形成されたこの特別な日を通して、私たちの心に深く刻まれ続けるものがあります。
一方で、先ほどお伝えした、もう一つの視点がありました。日本人としてのレイヤーを超え、地球人としての視座から見れば、私たちは「地球そのものの影響」を受けて戦争へと導かれているのかもしれない…ということです。
祀られている英霊たちの白黒写真を眺めながら、私はそんなことを相互に考えていました。
参拝後に訪れた資料館では、青年兵士の遺書に、ある一文を見つけました。
そこには、「お国のため、大君のため」といった忠義の言葉が並ぶ一方、母親への感謝と、親孝行ができないまま戦死することへの謝罪が綴られ、
最後には「家の夢ばかり見ます、左様奈良」とありました。戦場での殉義を覚悟しながらも、心の奥底で求めていたものは…
スピリチュアルな視点から深く考えるべきテーマ
このような人々の想いを胸に、私たちは今後どのような未来を創造していくべきなのでしょうか。日本人として何に重きを置き、真実と歪曲された情報を選別する力をどのように養うべきでしょうか。
また、より俯瞰した観点から、惑星や太陽系自体が私たちを戦争へと誘導しているのか、それとも私たち人類はその影響力に抗い、新しい未来を築く力を果たして持っているのだろうか?
幾重にも重なりつつも、各階層ごとに異なる価値観と方向性を持つ世界のレイヤーを、それぞれを実感し、理解し、尊重、選択していくこと。
こうしたスピリチュアルな姿勢を持つことで、私たちは複雑な世界に対してより豊かな理解と、新しい未来を築く力を得ることができるのではないでしょうか。
アイデンティティを固定しない生き方
そして、この新しい未来を築くためには、私たち自身のアイデンティティの重心を柔軟に変えられる自己認識が必要です。この柔軟性こそが、変化する世界の中で自分自身を適応させ、真のスピリチュアルな成長を遂げる鍵となるでしょう。