コラム

〈コラム No.29〉なぜ、キャリアではあなた自身の「からっぽ感」は埋まらない?

新妻先生・・わたしもうキャリアは捨てたんです」先月に雇われ社長をご卒業されたというOさんの一言です。

 

なかなか衝撃的なご相談のようですが、当社の門を叩きにこられる方では一般的なお悩みの一つです。

 

MBAのような資格を活かしてグローバル企業で活躍されたことがあったり、国内トップクラスの経歴をもっていたりする方が突然の引退・・・。

 

誰もが「すごいですね!」と言うような輝かしい経歴を持つ一方で、当のご本人はガマンの限界。これまでのキャリアはむしろ「捨てたくてしょうがない」モノになっている、というお話です。

 

にわかには信じられないようなお話に聞こえる、という方は多いかもしれませんが、どれだけ「金」を稼いでも、結局はただの人間。「中身」の方が充実していないと焦燥感や欠乏感、人生への違和感は増すばかりなのです。

 

なぜ突然引退ということになるのかといえば、「もうやり切った」と感じていらっしゃるから。

 

「やり切った」と本人が感じられるくらいですから、そこまで上り詰めるまでの努力の仕方も尋常ではないレベルです。ストイックにアスリートのような生活をされてきていたということが殆どです。

 

そうした努力の成果はもちろん数字にもしっかりと反映されています。

 

Oさんも国際機関をお辞めになり、日本に帰国した後、売上不振をどうにかしたい、という外資系企業からの依頼を受け日本法人社長の座に着いたそうです。

 

そうして引き受けられてから数年で見事なV字回復をさせ、この度退職されました。素晴らしい功績を残しておられる一方で、とても謙虚なOさん。

 

お話を伺ってみると「私は賢くありませんから、とにかく一生懸命やったんです」「できることは頑張ることだけです」という感じ。

 

実際どこに行っても「どうやったらそのような成果が上げられるの?」「あなたの経歴を聞かせて」と次々に人が集まってきます。ですが有頂天という感じも微塵もありません。

 

普通の会社員や稼ぎが足りないと思っている方ならば、何億も稼いで、誰からも称賛される生活に「一体どこに不満があるの?」と思うことでしょう。夢を追っている最中の方ならば「やり切った」と感じることもありません。

 

ところが一方で、「やり切ってしまった方」にとっては、その一切合切というものは取るに足らないものになっているケースがあります。

 

お金はすでに有り余るほどあり、いま無一文になったとしても、再び稼ぐ力も十分にある状態。だからこそ益々、「今あらゆるものを手にしているのに、なぜ満たされないのだろう」と、違和感が拭えない状態に陥っているのです。

 

そこからスピリチュアルなことに手を出し始めるというわけです。

 

ベストセラー本である「神との対話」や「ザ・シークレット」「バシャールシリーズ」の(ワクワクすることをやってみる)を読んでみたりして、こんな風に別の角度からみずからの生活を充実させてみようと考え始めるのです。

 

それは今まで蔑ろにしてきたものに「自分を満足させる何かがあるかもしれない」と思うからです。

 

実際、読んだ後は「確かにそうだ、すごくいい本だった」と感じ「よし、今度はビジネスやお金に縛られない、自分らしい生き方にチャレンジするぞ!」とあらゆる行動を変えていきます。実績のある方ですから、実行力は抜群。本に書いてあることはすぐに実践します。

 

・家族との時間を選ぶ
・散歩をして自然に触れる時間を作る
・神社参拝に精を出す
などです。

 

今までビジネスに全振りしていた時間と体力、お金を「自分のために使ってみよう」と試みる。他者へ奉仕的になる方もいらっしゃいます。

 

こうして始めた瞬間はストレスがないことに感動したり「これが幸せか」と思ったりもするのですが、日が経つごとに顕著になってくる感覚があります。それは「表面的にしか満たされていない。結局違和感が消えない」というものです。

 

更に追い打ちをかけるように、せっかく生活のあらゆることを変えたにも関わらず、むしろ迷いは増えていく。

 

しかも隙をついてくるように、かつての同僚やあなたの評判を知る者が「一緒にビジネスをやらないか」「また手伝ってほしい」「もったい無い、せっかくの経歴があるのに」と声をかけてきますし

 

「気でも狂ったのか?戻ってこいよ」と言ってくる人も中にはいます。雇われ社長を辞めたとなれば「今度はうちをお願いします!」と次々にオファーの連絡が入るのです。

 

Oさんは「そのオファーはすべてお断りさせて頂きました」と言われます。

 

「そうでしょうね」と新妻。

 

当社としましては、こういった方は珍しくありません。ですがOさんは私から肯定されたことに少し驚いたような表情を見せました。

 

Oさんも前例に倣い、今後の方向性について迷っているのです。自分はあらゆる手を尽くしているにも関わらず、内面的な問題は全く変わらないので「今度はまた仕切り直しをしてみよう」と思ったりもする。

 

「やはり、自分のビジネスをまた1から構築してみれば、やりがいが戻ってくるかもしれない・・」と考えるのです。ですが残念なことに、これではあなたのほしいものは依然として手に入ることはありません。

 

本当に心を埋めてくれるもの、表面的にではなく、納得をできるもの、また夢中になれることは、断言しますがビジネスを仕切り直したところで絶対に手には入らないのです。

 

仕事を離れ、捨てた者からすれば「これだけのものを捨てたのに・・なぜまだ満たされない…?」と思うのは当然のこと。ですが、捨てたからといって「深いところから」幸せになるとは限らないわけです。

 

誤解を恐れずいうのならば、あなたは"表面的に"今までのキャリアを捨てたに過ぎません。

 

こういうと、「会社を手放したんですよ?」「お坊さんになろうと思ったこともあるんです」などと仰る方もいます。

 

もちろん、どのくらい真剣な思いでいらっしゃるかはご相談にいらしたときの表情や声色からも十分すぎるほどに察することができます。ですが、この領域の成功者にとっては会社を手放したところで、また別の会社を起こすことはさほど能力的に問題ではない。

 

むしろここで問題なのは、実際のところ「キャリアでの自分の評価」こそが自分自身の存在価値であると思い込んでいることにあります。

 

どうしても過去の頑張った成果を、「自分自身から切り離して考える」ことが難しくなっています。人にチヤホヤされているときは天狗になることはないのですが「あなたの話を聞かせてください」と聞いてみると200%「ビジネスの経歴」ばかりをお話されます。

 

「今更キャリアに興味はない」と言いつつも、自分の評価はその部分でしか測れなくなっているのです。

 

これでは「ただ表面的に」今までのキャリアを捨てただけ、と言ってもおかしくない状況。環境を変えるだけでは、何も変わらないというわけです。

 

つまりキャリアは「あなた自身」ではないということ。あなたはあなた。言うなれば、それは「あなたが樹の幹」であり、「キャリアはあくまで枝葉」の方であると例えることができます。

 

いくら枝葉であるキャリアを増やしたところで、あなたはあなた自身である「幹」に働きかけていることにはなりません。あくまで、あなた自身である幹を強く太くしていくことで心の底からの充実感や幸福感を得ることができるようになります。

 

自分自身への「無価値観」や、人生への「違和感」「空っぽ感」が頭から離れないのならば、「幹への働きかけ」ができていないという他ありません。

 

確かに、キャリアを一生懸命に伸ばしていかなければ、決してやりがいや自己肯定感、達成感などを得ることはできないのが人間でしょう。しかし、キャリアだけに注力していても、それらは一時的なものであることに、後々また気付くことになります。

 

極めて大事なことは、あなた自身がキャリアとの関係性を変えていくことです。藪から棒に捨てても、あなたとキャリアの関係性はなにも変わらない。

 

時間が解決してくれるといった問題でもありません。時間が経っても、結局は同じような考えをぐるぐると繰り返してしまうのです。

 

あなたは「過去、特にあなたのビジネスを捨てること」を考えたことがあるでしょうか?「幹」である、あなた自身にも注力できていますか?

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