「新妻先生、どうも人を『ジャッジする癖』が抜けず、どうしたら良いでしょうか?」
ご自分のビジネスを大きく育てようと絶賛奮闘中のKさんからご相談をいただきました。
「人をジャッジしてはいけない」スピリチュアルが好きな方に多い傾向の一つとして、いわゆるワンネスの概念から連想される「人を見た目で判断してはいけない」「ネガティブなことを言ってはいけない」「競争は良くない」と言ったもの。
これらを総まとめにして、「ジャッジすることは悪いこと…」という考えです。
ところがそれでもどうしようもなく、ご自分の中にそういった感情が出てきていることに対する自己嫌悪があり「負の連鎖に陥る」というパターンはほんとうによく見かけるものです。
正しいジャッジとは
しかし、本当にジャッジはしてはいけないのでしょうか?
ジャッジとは判定・判断を下すことを指しますが、そもそも、私たちの生活、ビジネスシーンでは判断無くしてはなにも進まないという前提があります。
特に経営者ともなれば、判断の連続。本来、良い悪いを徹底的に判断し尽くさなければなりません。しかし、善悪や損得の基準だけでは、判断に偏りが生まれ視野が狭く独善的なものになってしまう恐れがあります。
どのように考えていくのが最善といえるのでしょうか?
どんなに謙虚に生きようと思っても自分を○○○○ている
「ジャッジしてはいけない」
という言葉を間に受けてしまわれると、進めたいプロジェクトが思うように進まない。結果が出ない。地に足のつかないふわふわとしたミーティングをしてしまう。など、あらゆる方面で支障が出てきてしまいます。
一方で、時として「建設的な否定」は場を引き締めて進捗をもたらすのです。そもそものお話ですが、生命としての私たち人間は、絶対的な前提条件として「生まれる」という判断をしてきています。
これは自然なことのように思われるかもしれませんが、スピリチュアルな観点から言えば、生まれたのもご自分の意思であり、判断。
そしてその意思は、実際にはこの3次元において「自分という存在を押し付ける」という行為に該当するのです。
自分以外の者たちが作った世界に「自分の居場所」を確保したり、自分以外の人が作った食べ物をとっていただいたりする。これらの行為自体が実は、この世界への押し付けと言えるわけです。
これがビジネスの現場では、それがどんなに滑らかで心地の良い営業をされる方でも、基本的なエネルギーは同じ「私を選んでください」というものに変わりはありません。
そして、その人たちと同じように、あなたもまた経営者として社会と接するとき、「自分の方がB社(ライバル社)よりも優秀です。弊社を選んでください」と自分を押し付けていくという構造を持っているワケです。
経営者の受ける外的な圧力
上記の話を反転させると、経営者は常にこの「圧力」を会社員よりも多く外部から受け続けることになります。あらゆる方向から「契約してくれ」と迫られているのです。
その中で、もし「ジャッジする力」をご自分が否定していたら、その外的な圧力を弾き返せなくなるのです。すなわち、やられ放題…ということです。
一例)かけられた圧に対してNOが言えないようになってしまいます。
・進められるまますべてにサインしてしまう
→キャッシュがいくらあっても足りません
・断れない
→時間がいくらあっても足りません
・ついには無駄なことばかりに「時間」と「お金」を浪費してしまい、あなたは自分が何をしたかったかさえわからない状態になってしまうのです。
→最終的には、周囲からの信用問題にもなりかねません。
パートナーに任せるのは正しいのか?
こういうと、「わたしは判断できないのでパートナーにしてもらっています」と、平気でおっしゃる方がおられます。こちらはこちらで、非常に恐ろしいことと言えます。
そんな方にお聞きしているのは、「もしあなたのパートナーがあなたに不利な決断をしたらいったいどうするのですか?」というもの。
気がついたときにはもう遅い、、、「信用していた」では済まないでしょう。泣いてもお金や時間、あなた自身の尊厳は返ってはこないのです。
「ジャッジ不安症」ともいえる方というのは、社会でのサバイバル能力が低下していますので、簡単にやり込められてしまう危険性が高いということなのです。
ジャッジが力強く自信を持ってできない。自分の言葉で自分の意見を他者や仲間に説明できないということは、不躾な言い方をするならば、社会から「舐められている」と言い換えることができるのです。
会社員ならば、逆に判断を他者に委ねるくらいの方が生きやすい、ということは往々にしてあるでしょう。しかし、どういった規模であろうと「自分自身のビジネス」を運用していくとなれば、このような性質は瞬く間に依存的とも取れるものに変化してしまうのです。
自分自身を守るためにも、適切な判断は必ず求められることになります。経営者という立場をお持ちの方ならば、自分自身の「判断力」をいかに磨き抜いていくか?
このことが嫌でもよくお分かりではないかと思います。
ビジネスシーンを生き抜く胆力+スピリチュアルな視点で最強
「力強い堂々としたジャッジ」こそ、経営者の最も重要とされる資質、と断言できます。
そしてこの判断力の醸成にこそ、スピリチュアリティの要素が欠かせません。スピリチュアルな要素というものは本来、占いや透視を活用するというものではありません。
「あなたの判断を強くする視点」を獲得するためのものです。
あなたの判断を強くする視点とは具体的に、
1.多様な情報に寛容な態度で接することができる意識
2.寛容性によって獲得された素材をもとに包括的に思考する
となります。
1.『多様な情報に寛容な態度で接することができる意識』とは、より広く大きな範囲の情報を取り入れられる受信・受容力を示します。
2.『寛容性によって獲得された素材をもとに包括的に思考する』とは、高い視点を得ることが目的なのではなく、結果的に、最も全体がバランスする「中庸な一点」を選び抜くために必要な能力を指します。
すなわちスピリチュアリティとは、「中庸な視点からの問題解決能力を高める」ことです。そして結果的にあなたの組織をより「独立的な状態」へ導くことができるようになるのです。
反対に「従属的な状態」とは、国家単位にしても、企業にしても、そして一個人の生き方にしても同じことが言えますが、自国や自社で必要なものを準備できないことが理由になります。
その原因とは紛れもなく、中庸さ無き「思考の偏り」であり、近視眼的で「不透明なジャッジ」がその元凶なのです。
指揮する立場の人間が「包括的な情報」から全体にとって最もバランスの良い判断を適宜くだすことができれば、組織を発展する方向へ導きやすくなっていくのです。
あなたには素晴らしい判断ができる
「判断」の概念を整理しておきましょう。
・選ぶという判断
・選ばないという判断
・一旦保留にするという判断
いずれにしても、前提として”包括的に”思考していると感じられるのならば、「素晴らしい判断」です。
それにはあなたの主張が宿っているのです。一方で、「判断を曖昧にしている状態」は最悪です。それは見て見ぬふりをしているものがあったり、何かを面倒くさがっている証拠です。
決して、「判断を保留にする」ことが悪いわけではありません。堂々と保留を判断すれば良いのですが、歯切れが悪いことが致命的だと言うことなのです。
スピード感の求められるビジネスシーンの中で、経営者は最良のジャッジが求められています。
「判断を辞めたい」という観点からではなく、「必要な解答を変化するシーンの中で適宜確実に判断を出せるようになる」
その為にこそスピリチュアリティはある、という視点を持つことが非常に重要と言えるのです。
あなたはジャッジすることを避けてはいませんか?
包括的な思考をする力はお持ちでしょうか?
大好評につき150回以上の開催実績!
ZOOMによるオンラインセミナーで
ご自宅から簡単にご参加いただけます。
セミナーに参加する