「滝は元来、仏と考えられ、われわれ山伏は滝に打たれることで即身成仏を目指す」
先日、高尾山の琵琶滝にて滝行を行ってきました。
私自身はこれまでも何度か滝行経験はありましたが、今回は両親を連れての家族3人での滝行です。
滝の前で密教印を組み、
「南無、大聖・不動明王!!!」
「南無、大聖・不動明王!!!」
「南無、大聖・不動明王!!!」
と気合を入れて念仏を唱えながら滝に入っていく
滝仏様の中へ、即身成仏へ。
その時、不思議なことに気がつきました。
自分自身の状態もさることながら、
普段、何十年もみてきたはずの両親。
ですが、彼らの滝に打たれている姿を見るのは初めてです。
特に母親が滝の中で、自分自身を統一しようと凛々しくある姿に驚きました。
「普段と全然ちゃう。。。」
滝の激しさの中で、眠っていた本来の生命力がここぞとばかりに
喚起されたようでした。
終わった後の親子3人での清々しい状態といったら・・笑
高尾山に登り始めて3年ほどになりますが、毎回瑞々しい発見があります。
そして・・・
そんなこんなで滝行を終えて帰宅したその日の夜、先ほどまで一緒にいた母から連絡が入りました。
「おばあちゃんが危篤で、今すぐ病院に行くから、実家に戻ってきて」
それからはあっという間でした。病院に着いた時にはすでに祖母は他界していました。
2ヶ月前から入院をしていたので、覚悟はしていたのですが、まさか滝行の日に・・
家族そろって「即身成仏」をものすごく意図していたその日に、
祖母が現世を後にして、仏に成っていった。
タイミングを感じました。
スピリチュアルにおける「通路」には二つの概念があります。
恐山や、セドナのように場所としての通路、
そして、お盆や日食のように時間、タイミングとしての通路です。
祖母は、一族が浄化されており、最も通路が清められているタイミングを極めて意図的に選んでこの日を決めたことがわかりました。
生きている、ということはこの世、現世(うつしよ)にフォーカスしている時間が長くなります。
ですが、私たちはいつもあの世から、この世に顕界している身であり、必ずまた向こうに帰る時がきます。
現世での活動に懸命になることは、せっかくのうつしよを楽しむためにも大切なことです。
一方で、われわれがスピリチュアリティに取り組む目的は今世だけにとどまらず、あらゆる世界を包み込んで生きていくためです。
祖母にはたくさん面倒を見てもらいました。
そして今回、改めて、信心深かった祖母が、最期の最期にとても貴重なことを身をもって教えてくれました。
ありがとう、ばあちゃん。
合掌。