最初の星の記憶
生まれてはじめて流れ星を見た記憶は小学生の頃です。
その夜は”双子座流星群”が見られる日で、夜中に起きて眠くてフラフラしながらも近所の公園まで親と行ったのです。
「驚くほど流れ星が!!」
…と、いう期待していたほどではなかったにしろ、1時間くらいの間に何個も流れ星が見えたことが心に焼きつきました。
次に記憶があるのは、地元東京の中学校から、進学先の福岡の柳川高校へテニス留学し寮生活をしていた頃です。
テニス部の一年生は練習後に8面あるテニスコートすべてを見回ってボールが一つも落ちていないように拾って回るのが部の決まりです。
ボール拾いが終わった後、同級生たちと一緒になって、まだ夏の熱気の残っているハードコートに寝っ転がり、夜空を見上げます。
柳川からは東京よりもずっと多くの星が見えました。
その時は腰痛で思うように練習ができず苦しい時期でもあったのですが…。
ゴッホのStarry Starry Night
20代になって強烈に”星空”のことを意識するようになるタイミングがやってきました。
瞑想合宿で知り合った女性のジャズヴォーカリストがVincent (Starry starry night)という曲を持ち歌の一つとして歌っていたのです。
この曲のVincentとはヴィンセント・ファン・ゴッホその人のこと。
ゴッホと、彼の描いた星月夜(Starry night)のことを歌ったアメリカ人ミュージシャン、ドン・マックリーンの代表曲でした。
マックリーンは曲の中でゴッホにこう語りかけています。
正直にいうと、当時は英語も分からなかったので、単純にStarry starry nightという出だしから始めるメロディの美しさに引き込まれただけでした。
しかし後に、この曲は自分にとって大きな転機をくれることになります。
それは恩師であるグラミー賞ギタリストのエドガーハード氏の来日の時です。
エドガーハード氏と共に
当時、瞑想やヨガと並行してアコースティクギターに熱中していた私は、富士山の麓でエド氏のギター合宿が開かれることを知り、それに参加することにします。
そして、その時に課題曲として選んだのがこのゴッホのVincent (Starry starry night)。
この曲は今でもギターでプレイした曲の中で最も回数の多いものであることは間違いありません。
人生をギターに捧げてきたエド氏の教えと、ゴッホを天空から支えていたであろう星空のメロディが幾度となく染み込んでいきました。
意外なサプライズだったのはそのわずか1ヶ月後、オーストラリアに渡った時のこと。
このStarry Starry Nightは向こうではスタンダード曲としてほとんどの方が知っていたのです。
言葉の壁を悠々と越えて、音楽はいつでもすぐに友達を作るのに役に立つ。
なんども星空と音楽に助けてもらいました。
オーストラリア人カップルの結婚式にて
ついに星空キャンプを実行
好きな曲とそれでできた多くの縁によって、20代の前半までで十分に星空になじむようになっていました。
でもだからといって特にキャンプをしたり、星空を一晩中眺め続けるようなことはまだありませんでした。
それが遂に、導かれるようにその時がやってきたのです。
2013年の夏、私は長野県のとある幼稚園にオーストラリアで学んだヨガの指導のため出入りしていました。
その幼稚園はその手の界隈では有名な独自のシュタイナー教育をしている機関なのですが、園長先生には登山家の長男がいたのです。
その長男のYくんは私よりも2つほど年下でしたが、海外経験も豊富なこともあってすぐに意気投合します。
そのYくんとアドレスを交換した時のこと。
「あれ、もしかして11月6日生まれ?」
その瞬間に自分たちが”同じ誕生日”だということに気がついたのです。
11月6日は11+6=17
タロットカード17番は「星のカード」
そこで兼ねてから、「どこかよく星が見える場所で誕生日を迎えたい」と考えていた私はキャンプ経験豊富な彼に、早速その提案をします。
そして、その年の11月5日、誕生日イブの日に私たちは長野県の飯縄山山頂で人生初の星空キャンプを行ったのです。
※飯縄山の御神体、飯縄権現は八王子市・高尾山にも祀られています。
テントを使わないで、寝袋だけで一晩を明かし、最大限に星のエネルギーを浴びる!というのが狙いでした。
その夜は雲がまったく無く、飯縄山の2,000mの位置から見る星の世界は圧巻。
オリオン座がゆっくりと時間と共に移動していくのがわかります。
夜が更けて意識がボーっとしてくると、本当に星が「降ってくる」ような感覚に。さっきまで遠くにあったオリオンが目の前にある・・・
さらに星と星の間の漆黒の空間にわずかながら青みがかったエネルギーの靄のようなものも見えてきます。
この時に抱く気持ちは、我ながら驚くくらい、家族や恋人、友人たちの幸せを願うピュアーな気持ちになっているのです。
「星に願いを」
とはよく言ったもので、長時間星を見るという行為は、ただそれだけで何もかもを広く深く、肯定的に捉えさせてくれるような効果がありました。
ゴッホの気持ちも少し分かった気がしました。
徐々に、11月6日の朝焼けが東の空から昇ってきました。
知識として当然知ってはいましたが、実際にゆっくりと空が、夜色から朝色に変化していくグラデーションには絵も言えない感じがしました。
星々があっという間に見えなくなっていく…
飯綱山山頂から
「昼や夜」という分け方に私たちは馴染んでいますが、あのグラデーションを体験すると、実はこの世界に「昼も夜も無い」ということが体感として分かってくるのではないでしょうか。
ふと、Yくんを見ると彼の顔は明らかに輝いており、顔面から「星のエネルギー」が放たれていることがはっきりとわかります!
...すごい!
私たちはお互いに誕生日を祝いました。
そうしてそれから、この2人だけの誕生日イベントを3年間つづけて行ったのです。
星空を見る意味はない?
星空キャンプを伝えていくのが一つの使命なのかも知れません。
導かれてきた感じがあります。
星空キャンプには社会的な大義名分はありませんが、人間を「宇宙的な存在」と見た時にはハッキリとした意味があります。
それは「思い出す」ということです。
星空はあなたに必ず「なんらかの気持ち」を思い出させてくれるでしょう。
その喚起した気持ちは、きっとあなた自身にとって普段は忘れていた「何か」なはずです。
思い出す、というのは人にとってとても大切なこと。
別に今のあなたが重要なことを見落としているのではないか、ということではなく、
ただ、何か普段から忘れていることが、一つや二つはあるのが普通の人間だと思うのです。
それを「ちゃんと思い出して」おけることは、実はかなり大切なことなのではないでしょうか。
ただそれだけなんです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。次は本物の星空の下でお会いしましょう。
スピリチュアル体験プロデューサー
新妻正幸