物語

仕事も日常も、
今までがんばってきたあなたへ贈る
本当の人生に出会うためのストーリー

 

いつも繰り返す、抜け出せないパターン
「なんで人生こうなるんだろう・・」 人にはさまざまな壁があると思います。
そのなかで、やらなきゃいけないことが押し寄せる毎日。

それでも、夢も目標も、自分自身の人生も後回しにせず、
もっと丁寧に生きたい人がマニュアルを捨て、
本当の自分のストーリー(人生)を始めるためのきっかけに私はなりたい。

株式会社サイレントキングダム
代表 新妻正幸

 

俳優の道を捨て、得たものとは...。

夢に破れた私が、世界を放浪し、さまざまな人との出会いの中で紡がれ、たどり着いたこと。

それは、今のあなたにつながる物語です。

 

 

1.「オーストラリアに行ったらいいんじゃない?」
2. 新宿の母「あんたは芸能だよ!
3. ダンブルドアのウィンク
4. でも、英語の勉強はしたくない
5. ハートの哲学を奏でる人物:エド・ガーハード
6. ギターを弾いて幸せになる感覚
7. 2010年11月6日、24歳の誕生日にオーストラリアへ向けて出国
8. 心の壁のない町
9. キャッシュカード、吸い込まれる
10. ブリスベンでピーターからの神パス→メルボルンへ
11. 「Go with the Flow」(流れに身を任せる)
12. 瞑想の師匠、Masakoさんとの出会い
13. ついにステイ先が決まる!クリスさん、マリさん一家
14. 食器を洗うお父さんの姿
15. 自発性を促してくれたMasakoさん
16. “瞑想ファスティング合宿” ワーキングホリデーでの集大成
17. 帰国とリエントリーカルチャーショック
18. 帰国後の再出発「日本でもきっとうまくやれるに違いない」
19. 真髄を追いかけたい
20. 人力車と花魁
21. エッセンシャル・フレンドとの出会い
22. 東京ミッドタウンでパークヨガ講師。しかし。
23. スピリチュアル活動、受信と発信の連続の6年間
24. 『国破れて山河あり』ジャック・スパロー シャーマンの教え
25. チーム瞑想®の誕生、叡智の体系化へ
26. 正しさを確かめようとしない人生へ

新しい宇宙に進みたい方へ贈るチーム瞑想®セミナー

【参加者のお声】

1.「オーストラリアに行ったらいいんじゃない?」

あれは23歳の夏。 「ツマユキちゃんはオーストラリアに行ったらいいんじゃない?」 飯沼さんは、唐突にそう言いました。 飯沼さんは、1ヶ月前にテニスコーチの友人を介して知り合ったばかりの一回り上の寅年、35歳の男性です。

はじめて会ったのは長野県の上田と松本の境目にある美ヶ原高原。 パジェロで迎えにきてくれた飯沼さんの助手席に座りました。 新緑の美しい高原をドライブしながら、 まず気になったのはドアの内ポケットに英字新聞が入れてあったこと。

 

「すごいですね、英語読めるんですか!」と聞くと

「ああこれは雰囲気だよ、なんか良いじゃん」とさりげない返事が返ってきました。

 

その頃、23歳の私は音楽活動や演劇。 それにバイトのテニスコーチを並行する生活を東京で3年近く続けていました。 18歳でテニスの名門、福岡県柳川テニス部を卒業したはものの、目立った戦績を残すことはできませんでした。

スポーツ選手の宿命ではありますが、 例に漏れず私自身もケガの連続。 肘、肩、腰、足首とケガにケガを重ねるような3年間。 当時の監督は「人間的な成長がテニスの成長につながる」と教えてくれました。

ですが、 テニスそのものよりも、リハビリのために始めたヨガや瞑想、筋トレと、ココロとカラダの仕組み自体に詳しくなっていきました。 元々身体が細く、スポーツに向いた体つきをしていなかったことに自覚はありました。 それでも自分の情熱を諦めるというは非常に悔しいものがありました。

 

「これまでか・・」 そう思ったのは19歳の時。

 

プロテニスプレーヤーになるという夢。 それまでの私はウィンブルドンで優勝するという目標を真剣に考えていました。

2.新宿の母「あんたは芸能だよ!」

ですが、テニスへの情熱がなくなった時点で、 スポーツ推薦で入学した大学も頭を下げて退学させてもらっていたのです。アスリートとしての人生観がストップしたことで、 半年はほとんど真っ白な状態。

ですが、徐々に気力も回復してきた頃、 母の紹介で新宿の母に手相を見てもらう機会がありました。 新宿の伊勢丹に朝6時から並んで、ようやく占ってもらえたのがお昼の12時。 実際に占ってもらった時間は5分ほど。

 

「プロテニスプレーヤーになりたいんですけど・・向いてますか?」

「あんた向いてないよ!」

「・・・(やっぱりですか・・・) 」

「それよりお兄ちゃん、バンドやりな!美術、芸術、芸能がいいよ」

「え?バンド?はぁ・・・」

 

当時、あの占いは意味不明だったけれど、 あれから4年が経ち、23歳になった今、 自分がアスリートよりも、アーティストとしての適性があったことはなんとなくわかるような気がしてきていました。

テニス界では私に才能がある、とはどんな人からも言われることがありませんでした。ですが、芸能界では私のそれを認めてくれる人が少なからずいたのです。 その中の一人が上地雄介さんやその後、千葉雄大さんを育てたマネージャーのMさんでした。ある時、Mさんは私と一対一で会ってくださりこう言いました。

 

「この世界で俳優として本気でやっていく気があるか?返事は急がない」

 

自分なりに「これは大きなチャンスだ」そう思いました。Mさんのマネージャーとしての才覚は会社や一事務所の枠にはとらわれず、 自分独自の戦略を持ってタレントを売り出すスキルを持っているように感じられたのです。

 

「Mさんは自分に可能性を見出してくれている」

 

素直に嬉しかったです。 そうして返事を保留にしているにもかかわらず、 Mマネージャーは私にどんどん仕事を送ってくれるようになりました。特に印象に残っているのは調布の日活撮影所の現場。

そこには当時売り出し中の市原隼人さんや、 芸能界の重鎮である渡哲也さんの姿がありました。 これまで画面の中だけで見ていた人物たちを目の前にして、 そのオーラの強さに驚きました。

3.ダンブルドアのウィンク

同時に、非常にありがたいことにMマネージャーの振ってくれる仕事の質が、 これまでの半ばエキストラのような仕事とも違うものだ、ということも理解できました。

理不尽な序列や、忖度せざるおえないような状況も、それまでの私が経験した限りの芸能界には多かったのです。 ですがMマネージャーからはそのような気配が全くありませんでした。

しかし、こうした状況の中で私は出会ってしまったのです。 エド・ガーハードという最高のギタリスト、いや“哲学者”に。 きっかけは御茶ノ水のギター街のある店でアルバムを直感的にジャケ買いしたことでした。

その頃は邦楽ではBʼzやELLEGARDEN、 洋楽ではPink FloydやLed Zeppelinを聴いていました。 ですが、そんな偉大なロックバンドのどのアルバムよりも、 私にインパクトを与えたのはエドさんの一枚のアルバムだったのです。

深い響きと独特のうねりが折り重なったギターのサウンド。 一曲目のイントロがはじまった瞬間からハッとしました。

 

「この人がどんな人物なのか?何が言いたいのかが分かる」

 

そう感じました。エドさんの音楽はインストゥルメンタル、 つまり歌がないアコースティックギターソロのスタイルです。 ですから基本的に歌詞による意味の伝達はないにもかかわらず、 私は他の誰の音楽よりも、熱くハートに響いてくるものを感じました。

このエドさんの来日コンサートが恵比寿で行われることがわかり、 すぐに行くことを決めまし た。 それがたまたま、Mマネージャーからオファーを受けていた期間とかぶっていました。

ライブ会場はギターショップのあるビルのワンフロア。 今まで通ってきた東京ドームやZeppなどと比べて明らかに小さく、 ほとんどジャズのライブハウスのような規模です。

ただ、初めてみるエドさんの姿と演奏に心底驚きました。 まるでハリーポッターに出てくるダンブルドア校長。 表情は柔らかく、お茶目で深みのある笑顔。 長い白髪に足を組んでギターを構える風貌はお世辞抜きでカッコ良い。

おまけにアメリカ人特有の自然なウインクとサムアップ。

 

「これだーーーー!!!」

 

と心の中で叫びました。 これは日本人がやったらただのキザでしょうが、 エドさんには全くいやらしさがない。

 

「こりゃすごい・・音もルックスもマジでやばい!!」

 

エドさんからは数値化はできないけれど、 これまで自分が関わってきたどんなタイプの人間とも 違う”質”が宿っているとハッキリ感じられました。明らかに私のハートが 「これが“それ”だ!」と言ったのです。

 

「エドさんのようになりたい!」

 

誠実なMマネージャーからのオファー。 そしてその後、経験させていただいた芸能界の仕事は “それまでの自分”がまさに憧れていたステージでした。 ですが、このエドさんの存在を目の前にして、 芸能界という道が違う選択肢であることがその時、わかったのです。

芸能界への適性は認められつつも、自分の道として選択することへの違和感。 その中でエドさんへの憧れを抱きつつ、 テニスコーチのバイトをしているという状況。 これが23歳の春でした。

 

4.でも、英語の勉強はしたくない

そんなタイミングで 「ツマユキちゃんはワーホリでオーストラリアに行ったらいいんじゃない?」 と飯沼さんはアドバイスしてくれたのです。 ただ、最初は寝耳に水すぎて、オーストラリアやワーキングホリデーが今の自分にどんな意味のある提案なのか、全く理解できていませんでした。

しかしそんな私に飯沼さんは 「このまま日本にいても、テニスコーチで食っていくしかないかもしれない。 一年後、大体どんな風になっているか国内なら予想がつくよね。

でもオーストラリアに行ったら、どんなことになるのか、 『予想がつかないっていう予想はつくよね。』」 そう言いました。 「予想がつかない、っていう予想はつく・・」なるほど。確かに。

 

「でも、ボクは英語まったくできませんけど・・」

「英語の勉強したくないなら、しなくていいんじゃないの?」

「え?そうなんですか、やばくないんですか?」

「でもしたくないんでしょ勉強」

「はい・・」

「ならしなくていいじゃん」

 

その後、周りの海外経験のある先輩方からは 「今のうちに英語を勉強していかないと大変なことになるぞ!」 と散々言われました。 しかし、私は本当に勉強したくなかったので 英語に関しては全くノー準備でオーストラリアへ向けて動き出しました。

と、その矢先、あのエドさんが2年ぶりに来日するという知らせが入りました。しかも、今回は10月に富士山の麓で3泊4日の特別ギター合宿が開催されるといいます。

あの憧れのギタリストの指導を直々に受けられるまたとないチャンス。 私はただでさえする気のなかった渡豪の準備をさらに放り出し、 エドさんのギター合宿のための練習を開始しました。

5.ハートの哲学を奏でる人物:エド・ガーハード

結果から言えば、 エドさんとのギター合宿はその後の人生の光明となる衝撃を私に与えました。 エドさんから伝えられたこと。 その中には演奏のテクニック的なことは一切含まれていません。

むしろ唐突に速弾きなどのテクニックを用いず、 一曲の中でひとつひとつの音に必然性を持たせること。 曲全体のストーリーを感じていく、というスタンスに重きを置くことを大切とされていました。

彼が4日間繰り返し強調したこと。 それは「Affection:愛情、優しい気持ち」を持って真摯に人前で演奏し続けていく、という姿勢。 ギターというよりも、人生全般における態度、あり方の話でした。

元々臆さない性格だった私は、 憧れのエドさんにすぐに質問をしてみたくて仕方がありませんでした。

 

「好きな人のためにギターを弾くとしたら、どんな風に弾けば良いでしょうか?」

 

するとエドさんはギターを弾きながらゆっくりと私に近づいてきます。 近い・・ かなり近い・・・・・・ 近すぎる!!!!(汗&笑)

 

エドさん
「こんな感じで『どうだどうだ』と圧をかけて弾いては絶対ダメ」

「 無理しない、 期待せずに、 あなたが幸せなプレイをすれば、彼女も幸せでしょう」

「己の中にあるものをギターに出すだけです」

「全体の微妙なうねりを感じて、リズムはカラダの中にもともとあります」

「自分が可能な限りリラックスできるのなら、どんな姿勢でも良いです」

「ギターを弾いて幸せになる感覚を感じて、その感動を共有していくことです」

 

6.ギターを弾いて幸せになる感覚

私が課題曲として取り組んでいたのは 画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホと彼の描いた星月夜のことを歌った Vincent(Starry Starry Night)という曲。4日間、「Affection:愛情・優しい気持ち」を意識して、何度もなんどもStarry Starry Night のフレーズを弾き倒します。

かなり指が痛くなりました。が、最終日の朝、一人になって教わったように気持ちと演奏を一致させるように弾いてみると“なにか”が変わっていました。 曲のテーマであるゴッホ自身の気持ち、星空の美しさ。

自分の演奏に「Affection:愛情・優しい気持ち」という態度で向き合うことで立ち上がってきた不思議な相乗効果...。今まではうまく弾くことや、周りに対する見栄など、 演奏自体に色々なも のが絡まっているように感じていました。

ところが、それが少なくなっているようでした。 自分のハートと指と、そして空間に響いていく音の間にズレがなくなっていました。 もちろん、この朝の演奏は私一人しか聴くことのなかったプレイだったのですが、 それは “起きた”のです。

自然と涙が溢れてきました。 エドさんが伝えてくれた「ギターを弾いて幸せになる感覚」がそこにはありました。

7.2010年11月6日、24歳の誕生日にオーストラリアへ向けて出国

10月のエドさんとのギター合宿。 この興奮が冷めやらぬまま、 あっという間にオーストラリアへの出発日11月6日、24歳の誕生日の日となりました。「何が起こるか予想がつかない、という予想はつく」 そう飯沼さんが教えてくれた未知の体験へ飛び込む時です。

この1年間の旅の合言葉は 「Go with the Flow」(流れに身を任せる)。

毎年1月にメルボルンで行われるテニスの世界大会を観戦すること以外に、 事前準備としての現地の滞在先やプランを一切決めない、出たとこ勝負!これがオーストラリアでの唯一の計画でした。成田空港からギターとラケット、それにヨガマットを持って出国しました。

南半球であるシドニーの11月は初夏でカラッとしています。 日本では春にピンク色の桜が咲きますが、 オーストラリアでは紫色のジャカランダという花がこの時期に咲きます。

ノープランでのシドニー生活の始まり。 最初に私は現地のテニスクラブをいくつか回ってみました。現地で働いている日本人のツテでテニスクラブで雇ってもらえないかと考えたからです。

ですがあいにく、そのような話には縁がありませんでした。 シドニーにきて1週間。 私は「なんか違うかも・・」と暗い気分に。 そこで今はこの地にいるべきではない、と判断。 次に関心のあったバイロンベイとブリスベンに向かうことにしました。

8.心の壁のない町

バイロンベイはヨガ、サーフィン、それに音楽が盛んな非常にアーティスティックな町。 町の至るとこにオーガニック食材やハーブを売るお店、 アーユールヴェーダなどがありました。

幾つかの家を回ってみると、ほぼどの家庭にもギターが置いてあります。 私がエドさんのところで練習したStarry Starry Nightをプレイすると、 皆とても喜んでくれるのです。

そこでわかったのは、この Starry Starry Night は アメリカやヨーロッパ圏では日本の坂本九の「上を向いてあるこう」のようなスタンダードだったということ。

私は英語こそまともに話せませんでしたが、 むしろ音楽によってグッと現地の人々と距離を縮めることができたのです。 また現地の人は日本の曲も知りたがってくれます。

そこでレミオロメンの3月9日を紹介。 大変気に入ってくれ、その後、「私たちのウェディング パーティーで3月9日を演奏してほしい!」 と2組のカップルからオファーをもらうことができました。 (新宿の母すげー)

しかし、このバイロンの町でもっとも印象的だったのは人々の愛想の良さ。 基本的に、ほぼみんなお店などですれ違う度に“目を合わせ”挨拶をしてきます。 それもかなりオープンな感じ。

高校時代は学生寮だったので、寮の仲間と和気藹々とした生活の経験はありました。でもオーストラリアのバイロンでは、見ず知らずの人に対しても明らかに心の壁がないことが分かります。

同時に、東京や地元の八王子で当たり前な ”目を伏せて遠慮がちな”という態度は、 あくまで日本人の持っているパターンであることにも気がつきました。 私はこのバイロンの人々の愛想の良さがとても気に入りました。

自分から挨拶をすることが元々好きだったので、 バイロンでは 「おれ、フツーだったじゃん!」 そんな風に感じられたのです。 正直、日本国内では周囲とギャップを感じていました。

9.キャッシュカード、吸い込まれる

ヒッピーな雰囲気のバイロンベイの町から、 オーストラリア第3の都市ブリスベンへ移動しまし た。 実は私が日本でトレーニングを積んできたヨガは”沖ヨガ”と言います。

これはインドではなく、日本で独自に発展し、広まった元祖日本オリジナルのヨガ。 その“日本 のヨガ”をブリスベンでヨガスタジオを開いて教えているというオーストラリア人のピーターに会いに行くことにしたのです。

しかし、ブリスベンに着くなりトラブルが発生!お金を引き出すために寄ったATMでキャッシュ カードが機械に吸い込まれて出て来なくなってしまったのです。

原因は慣れない英語の表示画面で半ばテキトーに画面をピコピコ押したためでした。 それでも、 それまではなんとかうまく引き出せていたのですが、 ついにやらかしてしまいました・・・しかもその日は休日。 ATMのそばにある銀行は閉まっています。

 

「どうしよう・・」

 

そこでとりあえず、道ゆく人に何度も拙い英語で道を尋ね、 なんとかヨガスタジオまでたどり着きました。 すると、ちょうど運よくピーターが1人でいました。

日本のヨガをやっているのだから、 日本語は話せるものだと思っていましたが、そうでありません。 そこで簡単に自己紹介を済ませ、 同時に

 

「マイ キャッシュカード、ゴーン!ゴーン!ATM ゴーン(汗)!!」

 

と身振り手振りで必死に説明。 すると、ピーターは全てを察してくれたようでした。 その日はヨガ友の家を紹介してくれ、 そして次の日にはキャッシュカードを銀行から取って来てくれたので す。(神様)

10.ブリスベンでピーターからの神パス→メルボルンへ

ピーターは日本のヨガである“沖ヨガ”を長年オーストラリアで伝え来た人物。 その後、はるばる日本からきた私に、さらに最高のプレゼントをしてくれました。 それは最初から1番のお目当てであったメルボルンでのテニスの全豪オープンを観戦しに行くときのこと。

大会期間中、現地での滞在場所をピーターが全て紹介してくれたのです。 通常、テニスの四大大会の一つである全豪オープンは世界中から多くのファンが押し寄せるため、ホテルはどこも一杯になってしまいます。

ですが、ピーターがわざわざメルボルンに住む沖ヨガの友人たちに連絡を取ってくれました。 そしてメルボルンにいる間、 右も左も分からない私にテニス大会中の宿泊場所の用意から、 貴重な現地の体験までをさせてくれたのです。

メルボルンでは”日本の沖ヨガ”のおかげで、 学生時代からの夢だったテニス最高峰の舞台で戦うフェデラーやジョコビッチ、 錦織圭を見ることができました。 こうして、2月のはじめまでメルボルンでテニス観戦を楽しみました。

ですが、この時点で入国当初から持っていた唯一の目的を果たしてしまったことで、 その後どうしていくか、今ひとつ次のアイディアが無い状態になりました。

11.「Go with the Flow」(流れに身を任せる)

選択肢としては1年間限りのワーキングホリデービザを延長する権利を得るために3ヶ月だけ農業をしに行くか、もしくはメルボルンの英語学校に通うか、といったところでした。するとこのタイミングで1件の連絡が入りました。

去年の11月に顔を出していたシドニーのあるテニスクラブからです。「2週間の期間限定でテニスコーチをしてほしい」 との依頼。ですが、ここで私はとても迷いました。

「シドニーに向かうにはそれだけで移動費がかかるし、 しかもたった2週間の仕事のためだけに?」

「割に合わないなぁ・・」

そもそも最初に「シドニーが合わない」と感じたから移動したわけだし・・

 

他にも、先にあげたビザ延長のための農業や、 メルボルンでそのままバイト先を探して稼ぎつつ英語を習得する、という道も考えられます。 そこで、この状況をSkypeを使って飯沼さんに丸ごと相談しました。すると

 

「それはシドニーにGOでしょー。」との一言。

「なぜですか?」と訊くと

「ほかの2つの選択肢はまだ曖昧で具体的でないこと、 対してシドニーからは明らかに呼ばれいるのだから、それに素直に乗ったら良い」と。

 

私はあの時に行った状況判断を今後、生涯忘れることはありません。 そして要所要所で貴重なアドバイスをくれた飯沼さんには心から感謝しています。 もしあの時、ビザ延長のための農業や、 メルボルンでの英語学校の道を選んでいれば、それはそれで素晴らしい経験ができたかもしれません。

でもそれは選ばなかったのだから、そのタイムラインは今の私に取っては知るよしもないことです。ですが、あの時の状況下で選んだ 『2回目のシドニー』という道は、紛れもなく、その後の自分の人生にとって最良の選択だったと胸を張って言える判断でした。

12.瞑想の師匠、Masakoさんとの出会い

メルボルンの沖ヨガの関係者にお礼を言って、 私はシドニーへ移動し、 テニスクラブで働き始めました。 3ヶ月ぶり、2回目のシドニーでの生活。 とりあえず2週間はテニスコーチで何とかなる。

そう考えていた最初の休日、 私はメルボルンの沖ヨガ関係者から 「彼女に会いに行くといいよ」 と言われていたシドニーに住む沖ヨガの関係者に電話をしてみました。

電話口の向こうからは

 

「あんた、とにかく一度顔を出しなさい!」

 

と日本語でかなりエネルギッシュな年配女性の声が聞こえて来ました。 それまでブリスベンのピーターから紹介してもらった沖ヨガの人々は全員オーストラリア人。

しかし、そのシドニーに住むMasakoさんだけは日本人女性でした。 Masakoさんはオーストラリアに渡って50年以上になる方で、シドニー郊外にあるブルーマウンテンというユーカリの山の近くで暮らしていました。

初日、ご自宅にお邪魔すると、開口一番に

 

「あんたは腎臓が弱いね」と言われました。

「え!?顔を見ただけで人の状態がわかるんですか!?」 と驚き。

(というか、これまでの人生で腎臓に対して調子の良し悪しを感じたことってないんですが・・)

 

そう思っているうちにすぐに腎臓に良いという”カボチャと小豆に煮付け”を振る舞って下さりました。 この時初めて、腎機能の弱さが原因でテニスプレーヤーだった頃に、足首のケガが多かったのだということを知りました。

 

「そ、そんなことって・・ある?」

 

足首と腎臓・・これは意外というか 「当時の自分に知らせてやりたい・・」 率直にそう感じまし た。 当時は本当に必死にコートに立って、 テニスのことしか考えておらず、 ケガと身体の不調が惜しくて仕方がなかったのですから。

Masakoさんはその日、 まだ知り合ったばかりの若造の私に

 

「週に一度は顔を出すように」と言ってくださりました。

 

それから毎週のようにご自宅にお邪魔し、ヨガ、瞑想、パワーストーンなど不思議なことを教わりながら、特別な調理法で作られた食事を頂く、という日々が始まりました。

するとどうでしょう。 運気が上がったのか不思議なことがさらに起き始めました。 後々分かった ことですが、 Masakoさんはオーストラリアのヒーラー協会の重鎮の一人でした。

13.ついにステイ先が決まる!クリスさん、マリさん一家

顔を出していたシドニーの日本人テニスコミュニティの方が、 私にステイ先の家族を紹介してくれたのです。 それまでシドニーではテニスクラブが用意してくれた宿泊施設を利用していたのですが、 あっという間に2週間が過ぎてしまい、 長居するには収入の無い状況になっていました。

そんな時にご縁をいただいたのがクリスさん、マリさんのご家族。 クリスさんはマレーシア人、マリさんは日本人で、 15歳の長男と、12歳の双子の姉妹がいるご家庭でした。

幸運だったのは、このクリスさん一家が大のテニス好きのファミリーだったこと。 特に奥さんのマリさんはフェデラーの大ファンでした。 私がテニスができるとわかると、 毎週コートに連れ出してくださり、 テニスコーチを必要としている一般プレーヤーの方々もどんどん紹介してくれるようになったのです。

この2人のおかげで私は自然に英語を使ってコミュニケーションを取る機会に多く恵まれました。さらに、クリスさんは自宅の一室を、私がヨガ教室を開くために自由に使って良いと提案してくれます。

そのおかげで私はホームステイをさせてもらいながら、テニスコーチとヨガ教室という二足草鞋で仕事をする環境を手に入れることができました。

私の2回目のシドニー生活のスタイルは、定期的にスピリチュアルの熟達者であるMasakoさんから指導を受けつつ、 生活の基盤はクリスさ ん、マリさん一家に支えていただくという形に。1ヶ月も経たないうちにこのようにしてみるみるうちにまとまっていったのです。

14.食器を洗うお父さんの姿

その後、ビザが切れるまでの9ヶ月間。クリスさん、マリさん家族との生活は続きました。その中でとても印象に残っていることが一つあります。 それはクリスさんが必ず夕食後に食器を自ら率先して洗う、という習慣です。

夕食を作ってくれたマリさんに 「Thank you」とだけ言って、マリさんをソファで休ませ、あとは子ども達と一緒に4人で食器を洗って、乾かす。ここまでが一連の流れでした。

それがとても自然に、ナチュラルに行われていたのです。 あのクリスさん一家に流れていた、なんとも言えないバランスの取れた相互関係、雰囲気を体験できたことは今でも私の中の一つの財産となっています。

15.自発性を促してくれたMasakoさん

ある時、Masakoさんのご自宅で話を聞いていたときのこと。

 

「そんな格好で聞いていたら、頭に入るものも入らんわい!」 と言われました。そのときの私は、 目上のMasakoさんに失礼のないよう、正座をして話を聞いていたのです。ですが

 

「もっと寝転んでラクに聞け」と言われたのです。

 

これにはびっくり。 Masakoさんにはびっくりさせられっぱなしでした。 今後のシドニー生活をどうしていくか?という話をしていると

 

「まさゆき!やらにゃああかん!とにかく、あんたは自分からエナジーを出していけ!」

 

そう背中を押されました。 私はそんな恩師からの気合の入った言葉を、 ねっ転がりながら受け止めていました。 こうして、閃いたイベントの一つが 2011年3月11日に起きた東北の震災を支援するための 『シドニーチャリティーヨガ』でした。

2011年4月16日、当日は30名ほどのオージー、日本人が参加してくれ、少額ではあるものの、寄付金を赤十字に送ることができました。またこのイベントのために、会場受付をマリさんが手伝ってくれたこと。

またMasakoさんもわざわざ郊外から現場に駆けつけてくれて、 チャリティーレッスンの様子を最 後まで見守ってくれました。 Masakoさんに自分が指導する姿を見られていることに緊張もしまし たが、 同時にわざわざ会場まで来てくれ、一緒にチャリティーイベントを盛り上げてくれたことに感銘を受けました。

16.“瞑想ファスティング合宿” ワーキングホリデーでの集大成

その後、南半球のオーストラリアは秋から冬になっていきました。その間、私はシドニー中でテニスとヨガのレッスンを交互に繰り返し、可能な限りの現地の人々、オージー、日本人と分け隔てなく交流を持つことを心がけ続けました。

そして10月。ビザの期限が迫ってきました。それは11月6日の25歳の誕生日。ここで私はこのシドニー生活の総まとめとして、2泊3日の瞑想断食合宿を主催しました。

場所はブルーマウンテン。ここは昔、先住民族であるアボリジニーの聖地とされていたユーカリの生い茂るオーストラリアのパワースポット。 断食と瞑想の指導はMasakoさんが。 ヨガを私が担当する企画です。

この企画を宣伝し始めた当初は、流石にノリの良かったオージーや現地の日本人も、「うーん、 流石に食べないのはムリだな・・・」 という反応ばかり。

ですが、30年以上断食の指導をしてきた大ベテランのMasakoさんがいらっしゃること。 それに自分の帰国直前の最後のイベントになる、ということで最終的には10名以上の方が「わざわざ食べない合宿」に参加してくれました。

こうして、私は24歳の1年間365日をまるまるオーストラリアで過ごしました。フェアエルパー ティ(サヨナラ会)の日、クリスさんの家には20人以上の友人が集まってくれました。

私は1年前に飯沼さんがくれた 「何が起こるか、予想がつかない、という予想はつく」という言葉と、当日、実際に集まってくれたオーストラリアで縁のあった人々を目の前に号泣。グシャグシャに。

「本当に、予想なんてできっこないことが、この1年間で起きた・・・」 最後に、クリスさんとマリさんは私にギターを演奏するよう促してくれました。 私はエドさんのことを思い出していましたが、 感極まっていたので鼻水を垂らしながらシドロモドロの演奏に。 これをみんなは笑って聴いていてくれました。

17.帰国とリエントリーカルチャーショック

 

「スピリチュアルで行こう」

 

そして私は芸能でも、ギターでも、テニスなく、人々を開放するスピリチュアルの世界そのもの を伝えていくことを心に決めます。エドさんやMasakoさん、オーストラリアの人々のように、 自由にのびのびと自発的に生きていくには何が必要なのか?何を日本の人々には伝えていけば良いのか?を真剣に考えるようになっていました。

1年ぶりの東京。 街の広告を見ると、しばらく目にしなかったタレントたちが 1年分、ほんのわずかに歳をとっていることを感じました。 地元の駅まで帰ろうと、何気なく乗った京王線の電車。

 

そこで突如

「うわ、なんだ?・・・」

正直いって暗い。

 

暗いというよりはこれは国民性なのかもしれません。 ですが日中の明るい時間帯にもかかわらず、 乗客たちの目には輝きはないように感じられました。オースにはオース、日本には日本。 それぞれ良さがあるのはわかってる。 だけど・・

 

「お前ら、大丈夫かーーーーー!!!!」

 

叫びたくなる衝動を必死に自ら抑え込みました。語弊を恐れずいうならば死んだ魚の目のよう。まるで生命力を感じない、俯いた視線。誰とも交わされない言葉。

何かに苦しめられているかのような、 日常に必死で耐えているかのように見えるその姿。 皆がある種の、同一の空気感の中に閉じ込められているように見えます。

 

「これはまずい・・」

 

私は1年間の充実したオーストラリア生活を経て、 反対に、自分の生まれ育った八王子が、 いかに管理社会の中で窒息しかかっているのかを目の当たりにしたのです。

18.帰国後の再出発「日本でもきっとうまくやれるに違いない」

「日本でもきっとうまくやれるに違いない」 そう思っていました。 そして最初に選んだ舞台は長野県白馬村。 「白馬でスキーをしにくる外国人にヨガを教えたらどう?」 オーストラリア行きを 促してくれた飯沼さんが次にくれたアドバイスがそれでした。

帰国が2011年11月。 それからまもなくトップシーズンとなるスキー場。1998年、冬季オリンピック舞台の地です。 白馬の雄大な自然に囲まれながら2012年5月までの半年間、 オーストラリ アやカナダ、日本各地からやってくるスキーヤー達に向け、私はヨガレッスンを提供し続けました。

嬉しいことに、同時に遠隔でもレッスンを続けてほしいと、 シドニーでヨガクラスに参加してくれていた人々からの依頼がありました。 そこでFaceTimeを使い、オーストラリアの人々とも、 リモートで引き続き関係を継続していくことが可能に。

今でこそzoomを使って楽にオンラインクラスを開催できるようになりましたが、 当時はSkypeか FaceTime。 シドニーの人々はレッスンのあるときに、 中継場所であるクリスさんの家に集合しなければなりませんでした。

それでもこの遠隔ヨガレッスンはその後3年にわたって継続。 私自身も画面を通じて引き続きオーストラリアの空気に触れることができる嬉しさやありがたさを感じていたのでした。

これは今思えば、新型コロナで世の中がオンライン化していく流れを先行していた、という意味でも大きな経験となりました。

19.真髄を追いかけたい

白馬での冬季シーズンが終わった後、 私は一旦、東京の実家へ戻ります。 ところが、私はここで大きな溝を経験することに。 両親と反りが合わなくなってしまっていたのです。

オーストラリアでの1年間と、 外国人が多く、自然豊かな環境である白馬で半年過ごしたことから、 私はますます東京・八王子や、 この地に長年住んでいる両親と考え方が全く合わなくなっていました。

自分が感じてきた「素晴らしい経験」を 何度両親に話しても理解してもらえず、 むしろ溝は深まるばかり。 遂には大ゲンカにまで発展。 そのままタンカを切って家を飛び出し、 学生時代の友人の家に転がり込みました。それから闇雲に働き口を探します。

ここでよく 「なぜ東京にあるヨガスクールで働かなかったの?」と聞かれます。 それは、日本には日本独特のレッスンの仕方や資格制度に則った進め方が存在していると感じていたからです。

“この形にハマった”形式で “ヨガ”を伝えることには意義を見出せなかったのです。あくまで私は自分の考えるスタイルを伝えられる環境を求めていました。 しかしそのこだわりは私に焦りやもどかしさを感じさせることとなります。

シドニーにいたときのようにトントン拍子にことが進まない状況。 帰国時にはうまくいくと信じて疑わなかった私でしたが、日本ではなかなか基盤を作ることができなかったのです。

白馬にやってくる旅行客にヨガを教えるのは一期一会。 ヨガを続けていこうという人々には出会えません。 さらに同時に、そのときの私はスキルとしてヨガを伝えてはいましたが、こうも思っていたので す。

「Masakoさん、エドさんの教えてくれたのはもっと違う、何かがあった・・」 その具体的な示し方も今はわからないし、環境すらもない。 それでもあの“真髄”を追いかけたい。

彼らのように何か特別な資格がなくとも、 既存の枠組みに囚われることなくエネルギッシュなものを伝えていきたい。 いつしかこの思いは自分の信念のようになっていました。

しかし実際問題としては不安定な経済状況、 親とも上手くいかない、「どうすんのこれ・・・・・」 そんなこだわりと葛藤の暗中模索の末に選んだのは浅草での人力車を引くアルバイトでした。

20.人力車と花魁

観光客を相手に人力車を引くアルバイト。 英語とカラダを使いながら、さらに浅草の文化を体験できる仕事とあって闇雲ではあったものの、「これだ!」と思いました。

運よく、浅草にほど近い上野に住んでいる経営者の先輩ご夫妻の家に居候させていただくことにもなりました。

蓋を開けてみると人力車は思いの他やり甲斐のある楽しい仕事だとわかったのです。

人力車の仕事を覚える研修中のこと。ふと「吉原遊廓の歴史」という文字が目に止まります。

そこには「花魁」の文字が。 「ハッ!」と思い出したのは シドニーのMasakoさんが教えてくれ たある話でした。「花魁の八文字歩きは腰が強くないとできないんじゃ」

「そうだ!あの時、確かにMasakoさんは花魁と8の字の歩き方について何か説明してくれていた!」 「吉原 花魁」ですぐに検索。 すると近々、墨田区で吉原遊廓の歴史の勉強会が開かれることを発見しました。

「行ってみよう!」 迷わず参加ボタンをクリックしました。

21.エッセンシャル・フレンドとの出会い

会場には歴史好きそうな大人っぽい人が多くいました。袴や着物を着た人が4割くらい。その中で一人だけ、25歳の自分と年齢が近そうな背の小さい女性を見つけました。 それがHさんでした。

Hさんは妖精のような雰囲気で、 明らかに周りの人たちとムードが違います。 「なんでこんなに繊細そうな人が吉原遊廓の勉強会に?」 見かけた瞬間、そう感じました。その会の後の飲みの席のこと。 Hさんと何気なく話をしているとあることに気がつきます。

 

「このHさんの話って、きっと多くの人が全く聞く耳を持たないんだろうな」

「でもこの部分の話って実はとても重要なんだけどな・・・」

 

彼女の話はまるで道端に咲いたたんぽぽの話をしているかのようだったのです。 多くの人が社会の中でつい後回しにしてしまうようなことを、 彼女はきちんと見ているようでした。

何しろ妖精のように繊細な雰囲気。 私は息を潜めるようにして彼女の話を聞かねばなりませんでした。 こちらができるだけ出力をOFFにしないと、 彼女からの情報を受け止めることができなかったのです。

それからちょくちょくHさんとは会うようになりました。 あるとき、浅草のパワーストーン屋さんに入るとHさんは手に取った石と何か会話をしているようでした。

そこでMasakoさんから譲り受けていたいくつかの石を見せてみることに。すると彼女は輝くアメジストたちを指差し「この石達、強い!」と一言。私は「でしょ!」とつい声を大きくして反応。

嬉しさが口から飛び出してしまいました。 オーストラリアから日本に帰ってきて10ヶ月間。 実を言うとそのときの私は、なかなか周りの人に、スピリチュアルな部分を理解してもらえないでいたのです。それがようやく、オブラートに包むことなく話せる友人と出会えたのです。

22.東京ミッドタウンでパークヨガ講師。しかし。

思いのほか充実した働き口を手に入れ、収入も安定。スピリチュアルなことを共有できる友人もでき、 気持ち的にも休まる日が多くなっていきました。ですが、私はこのままでいいとは思っていませんでした。

東京のどこかでヨガを伝える機会はないかと、都内を巡ります。 その中でいただいた機会の一つ。パークヨガでの講師でした。 六本木にある東京ミッドタウンで毎年行われている大きなヨガイベントです。 会場には300名以上の人がヨガマットを持参して集まります。

「東京の人々にオーストラリアでの経験や、沖ヨガのことを伝える絶好のチャンス。」 私は直感的にそう感じ、当日をとても楽しみにしていました。

持ち時間は60分。 私はシドニーや白馬で伝えてきたように、自分なりのヨガレッスンを行いました。しかし、レッスン終了後に感じていた余韻はまたもや

 

 

「これではない!」とはっきりと告げていたのです。

 

 

今覚えば、たった一時間のレッスンで全てを伝えるのなんて無理な話。それでもあのとき

 

 

「自分は今のレッスンで、300人の方とちゃんと人間らしいコミュニケーション を取れていた?」と考えると、

「そうではなかった」 そう強く感じたのです。

 

 

エドさんの存在が脳裏をよぎっていました。 この2012年のミッドタウンでの経験を境に、私はHさんとスピリチュアルなことについてより深く情報を共有していくようになっていきました。

自分が身体を動かしていくことを突き詰めてやっていたのに対し、Hさんは内面を深く探ることを徹底してやってきていました。なのでお互いに「お?」と思うことがたくさんあったのです。

盲点だった部分を互いにきれいにカバーしているかのようでした。性格は正反対なので正直ぶつかることも多い。なのに、なぜか話し合っては仲直りを繰り返す。今までに関わったことのないような不思議な相性。

このようなぶつかり合いの中で、 私の”視点”は徐々に変化していきました。「物事の形よりも、 存在の奥行きやエネルギー自体を見つめようとする」 より本質的なプロセスを重視していくこととなるのです。

23.スピリチュアル活動、受信と発信の連続の6年間

こうした中、港区の六本木や麻布周辺で自分発信の活動としてはじめのたが「3種の瞑想ワークショップ」という瞑想会でした。

「雑念があってなかなか瞑想ができない」という方は多く、タイプの違う瞑想を3種類体験していただくことで、異なる刺激が入るよう設計。 瞑想の良さをいずれかの方法から実感していただけたら、と考えたのです。

幸運にもそれは盛況となりました。 3年ほど続き、とても好評をいただいたのです。 さらに、3種の瞑想WSを通じて出会った中から、より深いものを求める人々には瞑想の個人セッションをご用意することになりました。

この個人セッションによって距離感が縮まり、持続的な関係が作りやすくなりました。すると、かつてエドさんやMasakoさんが伝えてくれた 「スキルではない領域の伝達」が確かに起きている手応えが感じられ始めたのです。

ところが、ここでまた一つの課題が浮上します。 3種の瞑想WSでは

 

「リフレッシュできました!」

「非日常でした!感動です!」

 

毎回いただけるこんな言葉に、嬉しいことだとは思いつつ、 自分の中では、また生まれる不思議な違和感。 この違和感なんだろう・・

 

「あ、そうか!みんな社会の圧に耐えられないんだ・・」

「だからリフレッシュしに来たいんだ」

 

その時、自分の主催しているイベントがあくまで「対処療法」でしかないことに気が付いてしまったのです・・・そして私は再び自問自答。

 

「身体と心を結びつけることがヨガや瞑想の狙い、 でも現代人にとっては、それだけでは何か違うのかもしれない・・・」

「苦しい社会からの息抜きのための瞑想会・・・」

「こんなことをいつまでもやっていて・・本当にいいのか?」

「Masakoさん、エドさんの教えてくれたのはもっと違う、何かがあった・・。」 というかつての問いを私は思い返していました。

24.『国破れて山河あり』ジャック・スパロー シャーマンの教え

こうして、国内での発信の仕方に試行錯誤しながら、 同時期に私はヒマラヤ、エジプトなど、赴くままに再び海外へも足を向けていました。 オーストラリアの経験が強い印象となっていたので日本に限らず、面白そうな場所へ行ってみたいとますます思うようになっていたからです。

そして「準備ができた時に師は現れる」という言葉(宇宙法則)通り、 私の人生にはまた新たな師が現れました。その人物はシャーマンでした。 会ったのは海外のある離島。ルックスはまるでパイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロー。

全身刺青のドレッドヘアーでしたが、 瞳は澄んでいてその存在からは優しさが滲み出ているよう な不思議な方でした。 (盛り過ぎのように取られるかもしれませんが、本当にそうなんです笑)

彼とは何度か会いましたが、会うときはいつも海外の特定の地域をランダムに指定されます。 自分の居場所を特定されないように活動しているということでした。

 

「私は昔、プロテニスプレーヤーになりたかったんです」

「でもケガが多く、それは叶いませんでした・・」

 

シャーマン

「人は誰もが社会的条件付けによってプログラミングされてます」

「このプログラムによって『社会から夢見させられているもの』から離れることが大切です」

「すると、そこからあなたの真の夢、つまり道 = タオが始まります」

 

「昔、高校の監督から 『人間的な成長がテニスの成長にも通じる』と教わったことを私は今でも追いかけている節があります」

 

シャーマン

「たとえあなたがトライをしても、 あなたが望むものは常に、あなたが期待をしていなかった何かに変わります」

「そして人は『為りたいもの』になるのではなく、『為るべくもの』になっていく」

「このことを知ることです。これがタオの道です」

 

 

そうか・・・そうだったんだ!夢を追いかけて、夢を叶えようとしている人はたくさんいる。 けれど、その「夢の枠組み」を超えた、期待のないステージへ進む・・

そういえば、「オーストラリアに行ったら、どんなことになるのか、『予想がつかないっていう予想はつくよね』」というあの飯沼さんの言葉。確かにあの時、自分は特に夢も目的もなかった。

ただただ、「そういった概念」の外に飛び出したワーキングホリデーだった。 それでも、それにもかかわらず、あれは私の中で紛れもなく、豊かで幸せな体験だった・・・

シャーマンは私にたくさんのヒントを授けてくれました。 現代人が抱える心の闇を丸ごと改革するようなものを。そして、その中には私自身が抱えていた家族との関係を改善できる情報も含まれていたのです。

私は遂に、オーストラリアから帰国した直後に感じたあの、

 

「お前ら、大丈夫かー!!!!!!」 という心の叫び。

 

更に、3種の瞑想WSで感じはじめていた違和感への根本的な理解を得たのです。

25.チーム瞑想®の誕生、叡智の体系化

こうしたシャーマンや多くの師との出会いによって、大きなヒントを得た私はより自分らしい道を生きられるようなサポートをするために研究成果を個人セッションでどんどん伝えていくことに。

 

結果、個人セッションではとても濃度の高いやりとりが可能となっていきます。ですが一方で、次に生じてきた課題がありました。

 

私が必要以上にエネルギーを消費してしまったり、セッションによって個人差がかなり出てしまうといったことです。

 

そこで出てきたのが、これまでの“叡智を体系化”するというアイディア。瞑想をシステムとして体系化することは、情報伝達の精度をより引き上げられること。

 

土台が構造的に出来上がるので、セッションのクオリティが俄然安定するといったメリットが考えられました。

 

体系化された瞑想システムは人間の意識構造を根っこから改革することが狙い。

 

この意識の構造改革をすることで、社会に飲み込まれることなく、自分らしい道を歩むことが可能になるプログラムをお届けすることができるようになりました。

 

それが2018年4月に完成したチーム瞑想®。

翌月にはこのチーム瞑想®をより多くの方に届けるための専門の会社を設立。 現在はさらに、このチーム瞑想®を体験していただいた方々により継続的に本質の濃度を高めつづけられる場づくりを行なっています。

 

そこには既に、社会に揉まれながらも 「自分らしく生きたい!」と自発的・自立的に、強く思っている方、社会と自分らしさのバランス感覚を育てたいと考える志のある仲間たちが集うようになっています。

 

26.正しさを確かめようとしない人生へ

最後に、お伝えしたいことがあります。私が長年瞑想を行なってきて感じていることです。実のところ「自分らしさ」というのは誰もが「正直よくわからないのではないか?」ということです。

 

上記に私は 「自分らしく生きたい!社会と自分らしさのバランス感覚を育てたい」 という仲間がすでに集まってきている、と書きました。ですが、自分自身のことは自分が一番よくわからない節があります。

 

でもそれでいいんです。 そんな中で、何が合っているとか、間違っているとか、何が正しいとか、正しくないとか、そういった基準ではない次元で自分のオリジナルの道は確かにある。

 

エドさんの言葉を借りるならば 「リズムは元々、あなたの中にある」 私はあなたの中に最初からあるエネルギーが何にも妨げられることなく表現されることをアシストしたい。

 

常識に囚われず、粋な大人たちが自発的に生きている社会。これこそが、人々の真の幸せだと信じています。そのために、マニュアル通りに生きてきた優等生たちのレッテルを剥がし、ダイナミックなストーリーを提供する。

 

改めて申し上げます。あなただけのオリジナルの道を進んでほしい。『為りたいもの』になるので はなく、『為るべくもの』になっていく道を。

 

正しさを確かめようとする意識から解放された大人たちの多い社会。そんな社会になったら、粋でカッコいい笑顔が世界に広がっていくのではないでしょうか?

 

「枠組み」から解き放たれれば、あなたは経済的にも精神的にもバランス良く、豊かさの中を歩 むことができます。そこにはあなたが思い描くよりずっといい未来が待っています。

 

一緒に夢を越えていきませんか?「予想はつかない、という予想」は、すでについているのだから、大丈夫です。

 

その第一歩として、ぜひ、弊社のセミナーへご参加いただければ嬉しいです。

 

あなたの問題解決能力を高め、想像以上の成果を手に入れる法
スーパースピリチュアル実践7大戦略セミナー

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【セミナー参加者のお声】

新妻さん、この度はチーム瞑想®にて多くのことを教えてくださり、ありがとうございました。最後の最後に自分の中で大きなものが外れ、不安定な状態となりましたが、私にとっては、これこそ最大の成果だったのだと思います。

最初に「自分の期待通りになりたい、なりたい自分になる、ということに自己同一化している」 とコメントがあったときには、その意味がよくわかっていなかったのですが、それが自身の葛藤の原因になっているということを教えてくださっていたのですね。

自己実現の期待自体が、低い周波数帯のなかで、集合意識に「夢見せられてきたこと、期待させ られているもの」であることに気づかせてくださいました。

私の中ではチーム瞑想®は継続していて、いかに自分の感情を正直に拾い上げるか、現在もトライ中です。適切な課題図書等を適時に投入してくださったおかげで、ちょうどその時々に感じていた「もやもや」に対して、最適な気づきや癒しを得ることができ、いつも一段高い周波数帯から解決言語のエネルギーをいただいて進むことができました。

「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン」のアニメも見ましたが、ヴァイオレットが命令を必要とする状態から不要と言えるまでの経緯は、共感できる部分がとても多いと思いました。

迷いの生じやすい周波数領域から方向性を探すのではなく、源から降りてくるもの、夢見も含め、創造主や自分自身の内面とつながることで方向性を見出す、ということを学べたことは、これからの確かな指針になりました。◯◯◯の象徴をイメージすることで、すぐにその周波数に行ける地図を授けてくださったことも大きいです。

新妻さんは、常に方向性に色付けをせず、透明で、中庸で、常に私たちの3歩先を照らし、私たち の透明度や自律性を損なわないようにしてくださいました。

今の状態は完璧であるという観点が軸であることで、自分の正直さと不正直さも徐々に直視することができました。これまで、たくさんの温かいまなざしをありがとうございました。

これからのチーム瞑想®がさらに良いものとなり、多くの方の人生に良い影響を与えることを祈っております。2021年、新妻さんとスタッフの皆さんにとって、さらに飛躍の年となりますようにお祈りしております。

佐藤桃子 様 青森県

 

 

これまでやっていたビジネスからさらに飛躍させたいと思い新妻さんのチーム瞑想®を受講しました。世の中には、コンサルやマーケと言った目に見えやすい、形になっている、という商材もあり ますが(私の専門はここなのですが...笑)

それ以外に目に見えない、形にならない理論というのは存在していて全てのモノには、この理論 が働いていると気付きました。

今まで生きてきた中で、「なぜそうなったんだろう?」「どうしてこうなったんだろう?」みたいなことって、誰しもがあると思うのですが結局、なんでだったかわからないことってたくさんあったと思うんです。

しかし、このチーム瞑想®を受けることで『これって、これが理由だったんだ!』ってわかるようになりそこから、次に何をすべきなのか?が自然とわかるようになってきました。

うまくいった理由もうまくいかなかった理由も目には見えないけど確実に影響を受けていることを知ることで本当にやるべきことが明確になっていきます。事業をされていていつも同じところで 悩んだり、つまづいたり進みたいのに進めない。と感じている方にはぜひオススメしたいです。

チーム瞑想®をスタートさせて2ヶ月目で飛躍的にやり方が改善されました。そのおかげで、売上も伸び、お客様の満足度も高くなってきています。

ますますこのチーム瞑想®の力を借りて高いところまで登っていきたいと思っています。新妻さん、いつもありがとうございます!

エモい起業家あやみ 様

 

「幸せに生きたい」と誰もが思いつつも、どう生きていいかわからないものです。そして、大きな壁にぶつかると環境や相手が悪いと思いたいもの。でも2度3度同じことがあると観念して、「私のどこが悪いのか」と真剣に考えるようになります。

その時の道筋をつけてくれたのが本メソッドでした。

衝撃だったのは「思考は現実化する」。 恐れや不安や自分はダメ、と思っていると、「ほら、失敗することに成功したでしょう?」。ま さにそうだ!と思った瞬間、それを手放すことができました。

自分の心の中をのぞき、深いところに降りていくのは結構体力が要りますが、自分で自分を縛っている観念を浮き上がらせ、手放し、新しい地平をひとつづつ手に入れて行く。

自分で自分のステージを少しづつあげていく。同じ環境であってもステージが変われば見え方も 関係性も変わる。そんなことを体感させていただきました。

目指すは中庸、私らしさの発露、 目の前のことに振り回されない「お山のような」心持ち。

新妻さんは、時には励まし、時には喝を入れ、でも「こうすべき」という押しつけはしない。一 点を目指すのではなくて、どの地点へも行ける自由な私であることを思い出す、それを一貫してサ ポートしてくださいました。

断捨離、瞑想、△△は一生もののメソッドです。

福田恵美 様 長野県

 

学び多い、充実した時間をありがとうございます。一般に広く行き渡っている即時的・現実的な 瞑想の『効果』ではなく、瞑想の本質的な意味についての理解を自分自身の中に落とし込む事が 出来ました。(それは、今の時点で自分が一番知りたかった事だったとセミナーが終わってから 気づきました。)

とても印象深かったのは、真の瞑想が人生のどの段階でどのように作用してその力が発動されていくのか。そうした構造が、明確に示される事です。

自分自身の生きてきた時間と時代背景を振り返りながら自分と、世の中の『今』を俯瞰して観 る、という体験ができたように思います。また、これからの時代をどう生きるかその意識の持ち方を教えていただきました。

互いに何の圧も与えあう事のないフラットな意識で作られた場そのものがとても心地よく、信頼 を感じながら過ごせる素敵な学びの時間でした。ありがとうございました。

金澤 真奈 様

 

貴重なセミナーありがとうございました。今まで気づかなかった視点に気づくことができて大変勉強になりました。まさに、これからの風の時代にピッタリのセミナーだと思います!

風の時代の特徴を捉えた上で、チーム瞑想®が、多面的な見方ができるようになったり、自分自身をよりよい方向へ導いてくれたりするような可能性を秘めていることを知り、とても興味が持てる内容でした。

J・T 様 男性

 

風の時代を生きる時に深いレベルで人生を統合するのに瞑想が必要だということ。それがロジカルに整理されていてわかりやすく納得できました。素晴らしいセミナーでした。

大屋敷 和貴 様

 

セミナーではありがとうございました!風の時代についてやいろいろな解釈がとてもわかりやすかったですし、これまで持ったことのない視点なのに、本当にその通り!と納得してしまうことが多くておもしろかったです。

自分のこれまでや今やこれからについて離れた外側から見せられたようで新鮮でした。日常生活で見逃してしまってる些細なサインや、それらから目を逸らし続けてループに入り込んでしまって いたことなども一旦止まって考える機会にもなりました。

具体的な例やアドバイスが参考になるものばかりだったので、少しずつ実践したり応用していって みたいです。またよろしくお願いします^^

O.M 様 女性

 

時間の都合で冒頭からの参加が出来ませんでしたが、後半からお聞かせ頂いただけでも参加する 価値ありと判断致しました。人生の全ての伏線を回収する為には、直線的ではなく立体的に捉える。チーム瞑想®の考えを学べる機会に感謝致します。

I .Y 様 男性

 

瞑想を日常の中で実践していきたいと思いセミナーを受講しました。 受講してみて、これまでの視点とは違う視点を持つこと大切さや個人的な道を歩むということにもっと自信を持って良いと思えました。新妻さんはとても柔らかい印象でした。

チーム瞑想®は変わろうとしている人におすすめします。

ハル 様 50代 東京

 

瞑想に効果?があることを実感していて、とても興味があったのでセミナーを受講しました。自分の今の状況が明確に実感できましたし、今日お話を聞いた内容に自分の状況がぴったりとあてはまるので、びっくりしています。

さらに瞑想への興味が深まりました。

新妻さんとは(クラブハウスにて)お話はさせていただいていましたが、中庸ということを話されるので、お坊さんのような方かと思っていましたが、フランクでお話しやすくて安心しました笑

ビジネスをされている方、人生に迷いが出ている方におすすめしたいです。

ゆにこ 様 50代 神奈川県

 

個人事業主をやっているのですが、新たに起業を考えているところにクラブハウスでお見かけしました。ビジネスで成功している方は皆んな瞑想を実践しているので前から興味がありましたが、 新妻先生はビジネス向けにされていると聞いたので申込みさせていただきました。

今までに聞いたことのない新たな“視点”を得られました。

瞑想というよりも人生哲学のような感じで、特に○○○の話が興味深かったです。他では聞けないお話でした。今まで一人でビジネスをしてきましたが、行き詰まりがあり今回のセミナーでその原因がわかったと思いました。ちょっとショックでした笑

新たな起業というタイミングの前でこの情報を聞けたのはチャンスというか、わくわくしまし た。

新妻さんは優しそうでした。落ち着いていて、今までどんな経験をされてきたのだろうと思いました。視点や発言が奥深いと感じます。

友達、特に男性にチーム瞑想®やセミナーはお勧めしたいです。 商業的な瞑想にあきあきしてる方やわたしの世代(30代)の経営者、個人事業で個人の力を高め仕事に生かしたい方、ブレない自分を作りたい方もいいと思いました。転職を考えている方も良さそうです。

Y 様 30代 経営者

 

新妻先生、本日はありがとうございました。本日のセミナーを受講して、これまでの自分自身の歩みとその意義が見えた気がします。

点と点の概念も、○○○の考え方も非常によく理解が出来、改めて大きな気づきを得ることが出来ました。

また、そのお人柄も素晴らしく、受講している方々に寄り添って共に感じて頂けるその姿勢に深く感じ入りました。

日頃より思っておりますが、とても説得力があり包み込むような素敵なお声ですね。声質も、自分自身の在り様で変化すると仰っていただき、私自身もより魅力的な声を発せられるようになりたいと思いました。

今後、個別相談をお願いしておりますが、その席で色々とお伺いしたいことを整理して臨みたい と思います。本日は、誠にありがとうございました。

須田 光彦 様

 

自分のエネルギー値を上げたいと思ったときにセミナーを受けて内容に納得したのでチーム瞑想® を受けようと思いました。

宇宙の仕組みとあるべき姿について回答が得られました!「引き寄せ」や「具現化を加速する」 という巷で言われている漠然とした事が証明された感覚を得られました。

自分との向き合い方が変化し、軸となるエネルギー値が上がったことで全てのことが冷静に俯瞰して見れるようになりました。

びっくりしたことは”夢”の変化です。

いつも冷静な回答をくださることに安心感があります。それが軸となるエネルギー値の違いだと 終了時に気づかされ、改めて納得しました。ご自分でも弛まぬ努力をなさっていると実感してい ます。

エネルギーを理解できる方、セラピスト、経営者の方々にお勧めしたいです。この度は貴重な時 間をありがとうございました。これからがスタートだと思って日々精進して参りたいと思いま す。

今後ともよろしくお願いいたします。

有賀理葉 様 経営者 東京都

 

■新しい宇宙に進みたい方へ贈る チーム瞑想®セミナー

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