コラム

第3回 二流は関係を主導権争いにする。

 
一流は関係を柔軟にバランスさせる。
二流は関係を主導権争いにする。

 

人は出会って数分でお互いの立場やエネルギーを様々な仕草や言葉から瞬時に読み取り、ほぼ無意識的にお互いにとって納まりの良い距離感や関係性をわり出す癖があります。

ここで理想的な「対等な関係を築く」ということはありとあらゆる関係性の中で言えることですが、なかなかそうもいかないのが現状…だと言えます。

「自分が相手より有利な立場にありたい」というマインドや、「相手に気に入られたい」もしくは「好かれたい、覚えてもらいたい」…などのマインドが対象の相手と自分の立場との関係性の中で微細なエネルギーのレベルでの交流から浮き上がってくるからです。

意図してこのような態度を取る方もいらっしゃいますし、ほぼ無意識的にいつも板についている「おきまりの型」としての特定の態度を取る方もいます。

二人以上の人間がいれば、状況に応じて人は「得意、不得意」、「よく知っていること、よく分からないこと」…などが表面上のスキルや知識の差として必ず互いの間に認識されます。

それはお互いの人生経験の違いから自然にそうなっているのですが、つい人間は優劣、有利、不利というスタンスでこの表面上のスキルの違いをお互いの立場上の権力の構図にまで適応してしまう事が多々あります。

自己のアイディンティの基準を出身大学や、勤めている会社、年齢や性別を依り代にしている方にはこの傾向はとても強いのですが、ヒエラルキーの意識に自分の思考が毒されてしまっているパターンです。「この人は自分より上」「この人は下」「この人は同じくらい」という「ヒラルキージャッチメント型人間」です。

本来、人間関係は流動的に状況に応じて「お互いが最善の形で響あえる」だけで十分であり、そこに上下関係は全く皆無であっていいはずなのですが… (これは役職上の上下関係が必要ないと言っている訳ではありません)

実際に世の中には「主導権を欲する者」と「弱者意識から下手に出ることに慣れきってしまっている方」のどちらかのタイプがあまりにも多すぎます。

相手の弱みを握ることや、餌をチラつかせて…と言った行為は文章で書くと、そんな露骨なことは日本人はあまりやらないでしょ、と言われそうですが、これをとても微細なレベルで「かすかに匂わせる…」というのは日本人は本当に狡猾だと思います。

この原因の一つは「精神的なレベルでの対等な人間関係」を結んだことがある人があまりにも少ないことがあげられると思います。このような関係性自体が成立する、存在することすら知らなかった…、ということも良く耳にします。

子どもであっても、大人であっても生命の本質から見れば、等しく輝いているかけがえのない存在であり、その事実は本当は誰しもがわかっているはずなのに、実際にはそれを毎日の関わり合いの中で、そのままコミュニケーションに適用することができずにいます。普段の生活の中で、「社会的な立場」という概念が頭から離れなくなっているためです。

この弊害たるや、本来の最も建設的、生産的、創造的な相互関係が起こせるだけの柔軟な人間関係の可能性や姿勢を「立場上の振る舞い」が過剰に表現されているために、妨げられてしまっていることに気がつけないのです。

「立場を崩せない組織」「お硬い関係性の企業」はこうして必然的に循環するエネルギー・情報の値が下がっていきます。役職上の上・中・下はあくまで表面的なレベルにとどめ、水面下での醜い主導権争いが起きないように常に全社員の意識の根底に愛とリスペクトが浸透しきっているようにする必要があります。

どの立場の人間であっても水面下での明るさが共有され、権利欲に支配されていない状況が集合意識に根付くと組織全体に癒着的でない、粘り強さと健やかさが出てきます。

特定の人間が有利な立場を求める癖が付いている場合と、その場の雰囲気がすでに重く固く、個人が無意識に日和見的な傾向から主導権争いに参加してしまう場合と、実際にはその両方があります。

組織と個人の相互関係はDNAの二重らせんのように流動的にダンスしていくことが理想ですが、そのためには主導権争いを超えた「強い関係性の構築自体」を見据え創造していく姿勢が求められています。

貴社の水面下での人間関係は現状どうなっていますか?

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